若者よ、野心を抱くな

人生は浪費するものである

Mai Yamamoto
kotodama-japanese

--

Photo by Milk-Tea on Unsplash

This post is written in Japanese. The English version is:

困ったことに、本屋のビジネス書セクションに行っても、インターネットで人気のある記事を読んでも、仕事や生活をいかに効率化するかという話題であふれている。

なぜ、それほどまでに「効率化」しないといけないのか、疑問に思ったことはないだろうか。

「この世に生を受けたからには何かを成し遂げなければいけない」という考えは、人間のおごりである。

私たちは地上に生まれた生命体にすぎず、他の生き物たちとほとんど変わらない。森のリスやシカ、ハミングバードたちと何がどう違うのだろうか。

情報に過剰にさらされる現在において、私たちは「非効率的、非生産的であることは悪である」という思いこみに追い込まれている。

なぜ、それほどまでに効率よく生きなくてはいけないのか。

生涯において何かを生産しなくては意味がないということは本当にあるのだろうか。

―――過剰なまでの野心と渇望は毒である。

それらが人を不幸に追い込む。経済的に社会的に成長しようとすればするほど、人はストレスを抱え他人に嫉妬する。

資本社会は人々を勝者と敗者に分けたが、勝者が幸福だとは限らない。あなたの幸福は金銭に紐つかないからだ。

私たちの問題は、消費の誘惑にさらされすぎているということではないか。誘惑と洗脳によって、私たちは必要もないものを消費する。消費すればするほど渇望が大きくなり、満たされるどころかむしろ不幸になる。

圧倒的に経済的弱者である、ミャンマーやカンボジアやインドネシアの田舎に住む人々が、いつも笑顔を絶やさないでいられるのはなぜか。それは誘惑がないからである。渇望がより少なく、他人に嫉妬しないからである。

彼らには家族がいて、豊かに作物が育つ菜園があり、雨をしのげる屋根がある。子どもが有名大学に行かなくても、元気で笑顔でいればそれでうれしい。平均寿命は短いかもしれないが、自殺や自傷行為を考える暇もない。

彼らは知っている。私たちは何者になる必要もなく、何者にもなれない存在である、ということを。

私もあなたも、狐やテントウ虫と同じくらい小さく、何でもない存在である。そして森のど真ん中でコヨーテに囲まれたら、あなたのポケットに入っているわずかな札束もプラスチック製のカードも、パスポートでさえも役にはたたない。

--

--

Mai Yamamoto
kotodama-japanese

Japanese writer. Poetry, Travel, Cooking, Gardening and Languages.